シリーズ平和の礎 戦艦大和篇 大和との出会い
前回と被る部分があると思いますが、書ける時に書きたいのでどうかご容赦願います。
大和級戦艦の1番艦
全長263m、基準排水量約6万5千トン、満載排水量約7万2千8百トン
主砲46センチ3連装砲塔3基6門搭載。
世界最大級の戦艦として現代も語り継がれる艦です。
父が好きだったのもあり、劇場版を鑑賞した際に戦艦大和と言う存在を知った。
小学校の時、高学年の生徒が作った夏休みの自由工作で戦艦大和のウォーターラインプラモデルを発見。
全体像を改めてみた時、その得も言われぬ魅力を感じ、なんとなく戦艦と言えば大和としてインプットされました。
いつの時か忘れたが今はなき町の自転車・スキー屋兼おもちゃ屋さんで戦艦大和の大きなプラモデルを作った。
恐らく初めて作ったプラモデルだと思う。
ただ組み立てただけながら、船底の色を塗ったのがこだわりだった。
赤でなく、実際に近い茶色っぽい赤。毎日眺めていましたね。
そして2005年、NHKの「その時歴史が動いた」シリーズ終戦60年で戦艦大和の特集が放送され、その威厳と魅力とは違う活躍に恵まれず、悲劇の最期は衝撃の一言でした。
さらに衝撃だったのが同年公開された映画「男たちの大和」
ここではじめて機銃などの兵器が手動だったことを知る。当時は宇宙戦艦ヤマトのイメージが抜けず。兵器一つ一つにたくさんの人がいて、手動いていることに驚いた記憶があります。
驚きだけではなく、なによりも心に刺さったのが、生き残った生存者、そして残された遺族の方々の声でした。
あの日の地獄を目の当たりにした乗組員達、残され終戦を迎えても永遠に戦争が終わることなく生きてきた遺族
戦争が奪うものがあまりにも悲しくて、苦しくて、今ある平和がいかに尊いものか思い知らされました。
こちらもまたヤマトの影響で海底でもその姿を保っているものだと思ったら、大和は沈む時の大爆発により艦体が二つに折れ、艦上構造物は崩れ落ちバラバラに散らばっていた。
バラバラで付着物やサビに覆われていてもそこには1945年4月7日午後2時23分に沈んだ時間がそのまま止まっているようで
また主に潜水艇の音ですが聞こえてくる音まですべてが大和が訴えているように感じ胸が締め付けられるような気持ちになったのも覚えています。
最近聞いた話だと腐食が進み、だいぶ艦体が崩れてきているそうです。
たまに引き上げて再現をという声もありますが、あの場所で大和と共に眠る方々を想うと賛成はできず、複雑な思いになります。
戦艦大和の元乗組員の一人で講演会活動をされていた八杉康夫さんとは後にお会いする機会に恵まれました。そのことはまた別に書きます。
戦艦大和は私に太平洋戦争を教えてくれた存在です。
今でも時折、当時録画した映像を観ています。戦争を知った時の気持ちを、あの人たちの声を忘れないために。