シリーズ平和の礎 戦艦大和篇 故八杉康夫氏を偲んで
八杉康夫(やすぎやすお)さんを知ったのは戦艦大和を深く知るきっかけとなったNHKの番組「その時歴史が動いた」シリーズ終戦60年で放送された戦艦大和の特集内でのインタビュー映像でした。
八杉さんは大和に乗り組んだ当時17歳、海軍の養成学校に最高ランクの甲種合格で入隊、さらに横須賀の砲術学校で優秀な成績を収めるなど努力を重ねた結果、当時海軍で憧れとされていた戦艦大和に配属されたお方です。
配置されたのは15メートル側距儀(そっきょぎ)。大和の主砲を撃つ際に敵との距離を測る場所であり、艦橋の上についています。
はるか4万メートル先の目標を捕捉することができる世界最大の測距儀です。現在のニコンが当時の技術の粋を集めて作りました。
この場所にいたからこそ大和で何が起きたのか、大和最期の日を、まさに地獄を目の当たりにしたのです。
八杉さんは当時の自分を軍国主義に洗脳されていた、名誉の戦死という概念にもあの日の地獄を通して異常なことだとはっきり証言していました。
2005年頃の八杉さんは戦艦大和の最期を語り伝える講演活動を続けており、私もいつか聞いてみたいと思っていた矢先、母が兵庫県で行われる講演会に連れて行ってくれたのです。
旅行の行程の記憶は曖昧ですが、八杉さんに初めて会った時のことは今でも鮮明に覚えています。
講演会が始まる1時間か30分前には会場に到着。八杉さんの登場を待ちきれない私は八杉さんが来るであろう階段近くに張り込んでいました。
開始時間が迫る中、そろそろ席に戻らないといけないと思ったその時、階段下から八杉さんの姿が!
八杉さんは待ち構えていた私にすてきな笑顔で優しく対応してくれて、北海道から来たことを伝えるととても驚いていました。そして握手、あの戦艦大和に触れていた手です。感激して言葉になりませんでしたね。
講演が始まると最初はナレーション、それが終わるとすぐに「こんちわ~、本日はご来場いただきありがとうございます。お初にお目にかかります、八杉でございます。どうぞよろしくお願いします!」と語りながら80歳近い年齢を感じないはきはきした歩みで会場の後ろから颯爽と現れました。
地元、周辺からの参加者の皆さんを差し置いて最前列に陣取った私は食い入るように八杉さんの話を夢中になって聞いていました。
講演後は当時出版されていた本にサインをいただき、さらに私はわがままを言って、私のような若者に向けてメッセージをお願いしました。八杉さんはサインと同じ筆ペンで綺麗な文字で「人生 是 証也」(じんせい これ あかしなり)という言葉を書いてくれました。
人生とは己が生きた証を残すためにあるのだと
とにもかくにも夢のような時間でした。
八杉さんの凄さは、見聞きした様々な情報から定説や語られていたものより、実際に近い大和の情報を持っていました。
戦艦大和に関する有名な書に吉田満著「戦艦大和ノ最期」にある有名な一節「敗れて目覚める」を否定。当時口が裂けても敗れるなんて口にしない、状況は悪くても自分たちが戦わなければ日本が、大切な人が敵に蹂躙されるかもしれない、そんな時に敗れるなんて言葉を言う人はいないと、他の元乗組員と吉田氏に追及したことがあったそうですが、「ノンフィクションではない」の言葉を残したそうです。
当時私は弁論大会で戦艦大和を題材にしてこの一節を使っていたため、困ったことを覚えていますね。
八杉さんの証言で印象深いのは「大和は最後の出撃で主砲を撃つことはなかった」というもの。
様々な作品で戦艦大和の最期が描かれる時は迫りくる敵編隊に向けて主砲を撃つ場面がありますが
八杉さんがいる測距儀が距離を測ってから初めて主砲を撃つのですが、当時は低い雲が立ち込めており、測距を始めるも敵編隊はすぐ雲に隠れてしまったため測距不能となってしまう。
すぐ近くから現れた敵機に対して本来は一番最後に火を噴く25ミリ対空機銃がダダダダと一斉に撃ち始めたと。
これについては私も100%八杉さんの意見を飲めないでいます。大和最期の姿をアメリカ軍が撮影した写真の中に主砲を撃っているように見えるものがあるが理由の一つです。
自慢の主砲を使えぬまま沈んだ大和が無念だったことでしょう。いつか決着をつけられたらなと思っています。
去年の1月、確かTwitterで八杉さんが亡くなったことを知りました。最初は信じられず情報源を探すも見つからず、その後新聞などの情報で改めて死を知り悲しみに暮れた日々を過ごします。せめてもう一度だけお会いしたかった。
八杉さんのお話はは著書の「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」やワック株式会社から出ているドキュメンタリーDVD「戦艦大和の最期 乗組員八杉康夫の証言」にて垣間見ることができます。
ショッキングな内容もありますが、今となっては貴重な証言となってしまいました。
今、戦争の経験を語ってくれる方が当時子どもだったとうパターン多くなっています。それだけ生の証言をできる方が少ないことを感じています。
もし、これを読んでくれた方に祖父祖母をはじめ、太平洋戦争を経験した方がいたらぜひお話を聞いておいてほしいです。もちろん相手が了承してくれた場合のみ、無理やりはなしで
八杉さんの魂はどこに行くのだろう、大和が沈んでいるあの場所なのか、個人的には天国で懐かしい方々との再会を喜んでいてほしいですね。
八杉さん、貴方とお会いして直接お話を聞けたことは人生の宝です。
何かの機会に貴方の証言を伝えられたらと思っています。
ありがとうございました。
シリーズ平和の礎 戦艦大和篇 大和との出会い
前回と被る部分があると思いますが、書ける時に書きたいのでどうかご容赦願います。
大和級戦艦の1番艦
全長263m、基準排水量約6万5千トン、満載排水量約7万2千8百トン
主砲46センチ3連装砲塔3基6門搭載。
世界最大級の戦艦として現代も語り継がれる艦です。
父が好きだったのもあり、劇場版を鑑賞した際に戦艦大和と言う存在を知った。
小学校の時、高学年の生徒が作った夏休みの自由工作で戦艦大和のウォーターラインプラモデルを発見。
全体像を改めてみた時、その得も言われぬ魅力を感じ、なんとなく戦艦と言えば大和としてインプットされました。
いつの時か忘れたが今はなき町の自転車・スキー屋兼おもちゃ屋さんで戦艦大和の大きなプラモデルを作った。
恐らく初めて作ったプラモデルだと思う。
ただ組み立てただけながら、船底の色を塗ったのがこだわりだった。
赤でなく、実際に近い茶色っぽい赤。毎日眺めていましたね。
そして2005年、NHKの「その時歴史が動いた」シリーズ終戦60年で戦艦大和の特集が放送され、その威厳と魅力とは違う活躍に恵まれず、悲劇の最期は衝撃の一言でした。
さらに衝撃だったのが同年公開された映画「男たちの大和」
ここではじめて機銃などの兵器が手動だったことを知る。当時は宇宙戦艦ヤマトのイメージが抜けず。兵器一つ一つにたくさんの人がいて、手動いていることに驚いた記憶があります。
驚きだけではなく、なによりも心に刺さったのが、生き残った生存者、そして残された遺族の方々の声でした。
あの日の地獄を目の当たりにした乗組員達、残され終戦を迎えても永遠に戦争が終わることなく生きてきた遺族
戦争が奪うものがあまりにも悲しくて、苦しくて、今ある平和がいかに尊いものか思い知らされました。
こちらもまたヤマトの影響で海底でもその姿を保っているものだと思ったら、大和は沈む時の大爆発により艦体が二つに折れ、艦上構造物は崩れ落ちバラバラに散らばっていた。
バラバラで付着物やサビに覆われていてもそこには1945年4月7日午後2時23分に沈んだ時間がそのまま止まっているようで
また主に潜水艇の音ですが聞こえてくる音まですべてが大和が訴えているように感じ胸が締め付けられるような気持ちになったのも覚えています。
最近聞いた話だと腐食が進み、だいぶ艦体が崩れてきているそうです。
たまに引き上げて再現をという声もありますが、あの場所で大和と共に眠る方々を想うと賛成はできず、複雑な思いになります。
戦艦大和の元乗組員の一人で講演会活動をされていた八杉康夫さんとは後にお会いする機会に恵まれました。そのことはまた別に書きます。
戦艦大和は私に太平洋戦争を教えてくれた存在です。
今でも時折、当時録画した映像を観ています。戦争を知った時の気持ちを、あの人たちの声を忘れないために。
シリーズ平和の礎 はじめに
8月と言えば6日の広島原爆投下の日、9日の長崎原爆投下の日、15日終戦の日と太平洋戦争を意識することが多いと思います。
太平洋戦争と言うとどんなイメージを持っているでしょうか?
私も小学校の時まではあまり意識もなく、かつてあった歴史上の出来事くらいにしか思わず。小学校の時だけ100点を取り続けた歴史のテストで唯一黒星が付いたのが太平洋戦争に関する問題だったこともあり鬼門にも感じていました。
唯一興味があったのは戦艦大和。
父が宇宙戦艦ヤマトが好きだったこともあってなんとなしにかっこいいものというイメージをもっていました。
そんな中2005年、終戦60年の節目の年にNHKの人気番組「その時歴史が動いた」でシリーズ終戦60年と銘打って戦艦大和の特集が放送されたのです。
内心はわくわく、ずっと知らなかった、詳しく理解していなかった戦艦大和の活躍を期待して観た私にとっては衝撃的な内容でした。
日本の象徴として建造された大和は、戦艦から航空機へ変わっていった時代に翻弄されるようにほとんど活躍できぬまま、最期の時を迎えた。
何よりも元乗組員の方々の話が忘れられなくて、以来太平洋戦争について自分なりにいろいろ調べていくことになるのです。
中学校時代に戦艦大和について作文を書いた時、国語の先生から「これで弁論出てみないか?」と言われた。
周りに聞いてみたらみんな太平洋戦争に興味はないし、知りもしない状況にショックを受けていた自分にとっては少しでも知ってもらう機会になるだろうと
そのタイトルが「平和の礎」
実は伯父がつけてくれたタイトルであり、最初は礎の意味もしらないありさまながら、太平洋戦争で戦ってくれた人々は今私たちが生きている平和の礎と呼ばずして何とすると気に入っています。
戦艦大和と共に知ったのは特攻、そして鳥濱トメさん。
このブログシリーズは私が知る太平洋戦争の話を誰かに伝えるための練習、備忘録として始めたいと思います。
読者ができるかわかりませんが、よろしくお願いします。
私の好きなもの
はじめまして、だいがはっと と申します。
北海道在住の男性です。
友人の勧めもあり人生初ブログをはじめようと思います。
とはいっても毎日更新する自信とモチベーションはないので、気が向いた時に好きなことを
土日はできれば好きな競馬の自分流な楽しみをつづろうと考えています。
まずは自己紹介代わりにプロフィールに書くのに時間がかかる私の好きなものを紹介しましょう。
私の好きなもの(順不同)
競馬
観戦専門、競馬場行って好きな馬が走るときにだけ馬券を買う。
好きな馬はビワハヤヒデ、マヤノトップガン、サイレンススズカ、ゴールドシップなど
現役ならゴールドドリーム、アーモンドアイなど
騎手も同様に岩田康誠、四位洋文、武豊ら数多くのお気に入りがいる
近年もっともディープにハマったジャンルで土日はテレビの競馬中継は録画して必ずチェックする
ばんえいなど地方はまったく、おさわり程度しか知識がない
小樽
子どもの頃より大好きで、博物館、ラーメン屋、中華料理、観光地などを巡り、自分の行ったことある場所などを小樽観光する知人に情報提供したりしている
弟情報からパン屋も興味を持つ
最近は知識偏りが出てきた。
鉄道
今はあまり熱を入れていないが、札幌にいた頃はJR白石駅に半日居座り汽車を眺めたり、小樽や新千歳空港へエアポートで出かけたりしていた
C62蒸気機関車は未だに大好きで、静態保存になってしまった3号機に会いに苗穂工場に行きたがっている
軍艦
話題になったオンラインゲーム「艦隊これくしょん」プレイ(かつて第5艦隊がいた幌筵泊地に着任)を機に軽巡洋艦や駆逐艦にまで興味が広がった
戦艦大和は変わらず愛する艦
航空機
やはり大戦中の機が好きで、日本だけでなくアメリカやドイツの機も好き
特撮
戦隊ヒーローはメガレンジャーからアバレンジャーまでが好き
ウルトラマン、仮面ライダー、ゴジラ、ガメラは全般好き
アメコミヒーロー
バットマン、スパイダーマン、デットプールのファン
敵も「ダークナイト」にて故ヒース・レジャーが怪演したジョーカーにシビれた
アニメ
今は見る機会が減ったが、声優さんが好きなので、好きな人が出演する作品はチェックする
最近なら宇宙戦艦ヤマト2202、ゴールデンカムイなど
ドラえもんとしんちゃんは録画してみている
オカルト
心霊、都市伝説、未確認生物、未解決事件などに興味あり、記事や動画を視聴
音楽
基本Jポップ、プロレスの入場曲、アニメソング特撮ソング、クラシック、ジャズが好き
最近は誕生からベンチャーズぐらいまでのロック、演歌、歌謡曲も好きになる
母と弟とは音楽の趣味が合わず悩みの種
しかし、X JAPANという共通の好みができた。
絵
博物館つながりで美術館も好きになった
特に鹿追に記念美術館がある神田日勝の作品が好き
博物館
なんだかんだで好き。最近リニューアルした北海道博物館は入り浸りたいほどハマった
本
最近は読まなくなってきたが、やはり好きなジャンルの本は読む
森見登美彦の小説を好み、料理・食べ物系の本を購入する。
プロレス
最近はノアや全日の終焉感、新日の独走態勢に疲れてしまったが、試合自体は大興奮で観戦している
内藤哲也率いるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに賛同
昔と違い反体制ユニットやヒールが好き
観戦は何も考えず純粋に目の前の試合を全力で楽しむことに限る。
ラーメン
札幌にいた頃に有名な店は大概回ったほど好きで、母には内緒だが友達と1日で5件回ったこともある
スープは基本完飲はしない派
落ち着いたがジロリアンである。
そば
丸幸そばと音威子府駅そば一番なのであまり行かない
その中でたぐとや山賀がお気に入り
小樽でも二店舗行ったので老舗を中心に回りたいと思っている
うどん
基本は市販の茹でうどんが好き
寺屋で感動
しかし、そばうどんを食べに行くよりはラーメンを食べに行きたい人である
カフェ巡り
小樽のルタオ本店にて紅茶に目覚めてからカフェや喫茶店にも興味を示すようになった
一応ブラックコーヒーも飲めるようになったが基本は濃いコーヒー1、牛乳9のカフェオレが大好き
お茶が大体好き。
水族館動物園
たまに行きたくなる
水族館では長時間イルカを見ていることが多い
これが主なところです。
多いですね~
これだけあって会話の話題に困る野郎です。
好き勝手書いていくので、もしも心の琴線に触れることが書けたらなと思います。
よろしくお願いします。